ストレス0

できない自分に落ち込む・イライラする時に知りたいこと

「みんなできるのに自分だけできない…。」ことに何年、悩んだことか、計り知れない。

 

できない自分に落ち込む・イライラする時に知りたかったことは

「出来ないを認識して、苦痛を感じている時点で、立派な創造主である。」という事だ。

 

「苦=表裏一体のポジティブなエゴ」を感じるよろこびに目覚めた時

 

あなたは、苦痛を感じながら生きていた地点から

エゴが感じる苦痛に対しても

 

「ありがとう!」的な

サイコパスチックな感覚を持つ事が出来るようになるだろう。

「苦=表裏一体のポジティブなエゴ」を悪と定義し

 

じぶんがじぶんと、対峙しようとする時

「じぶん自身の消滅=消えたい気持ち」を刺激することなる。

 

「苦」を認識するじぶんが、定義づけしない限り

「苦」は、じぶんの人生の中に一生存在しない。

 

「苦」は、じぶんしか、認識出来ないとは、そういう事で

じぶんが「苦」と定義づけした壁は、超えられる人にしかやってこない。

 

観測者がひとりの世界で、意思を持ち、振動し続ける限り

かならず、超えるよう、歩んでいる事に気づく。

 

「エゴ」は、苦しみの物語が好きなだけだ。

 

そして、わたし達が、認識する「苦」とは

いま、やっている「点」がどこに繋がるか分からない時に起こる。

 

そして、関連性のない「苦」という「点」だけを見つめる

「エゴ」がある限り

 

重い意識につられ、選択を変える事が出来ないじぶんを生み出し

状態を長引かせてしまう。

 

体感覚としては、じぶんが「苦」を認識したいというより

「苦」を認識しているじぶんを観測したいもうひとりのじぶんの意図を

理解する事ができれば

「苦」を観測することはなくなる。

 

「苦=表裏一体のポジティブなエゴ」に対する現実世界の対価を求めた時

わたし達は、じぶん以外の何者かにコントロールされ、支配されることに悩む。

 

フルダイブ型の現実世界=夢の世界を作り上げ、

コントロール出来ないタイムラグを作り

 

「苦」という遊びを創ることで

ストーリーや物語の数を増やし、実験をしたがったのは

 

他でもない、「源の力=じぶん自身」だ。

 

じぶんの中心のこころの中が

「苦=現実化のタイムラグ=表裏一体のポジティブなエゴ」を歓迎する時

おなじ苦痛が再現されることはなく

 

元々のじぶんに戻る事が出来ることで

じぶんにとってのじゆうを得る事が出来るのだ。

 

いまの一点だけの「苦」をみて

じぶんの人生をじぶんでジャッジすると

「点」は「点」でしかないので「苦」を見つめている状態になる。

 

これまでの「点=苦」と「点=苦」をつなぎ合わせた時

「線」を歩けていた事に気づく。

 

わたしは、難病指定の病気を独自のロジックを元に2回完治させた時点で、

「ふつうに・健康に・なんの悩みも抱くことなく生きている人生」から、

幼少の頃から脱線し続けてきた果てに、情報発信者となった。

 

じぶんが、じぶんとして生きる為の、

じぶんの為のツールが、情報発信やコンテンツビジネスである一方で

 

この宇宙環境は、意識エネルギーで出来ていることから

意識エネルギーの高さを追求する果てで

 

情報発信やコンテンツビジネス=個人としてのじぶんで在り続ける不調和が

 

お金や3次元生活の不安と

おなじ、重いエネルギーとなる事に気づいたとき、スランプに陥った。​​​​

 

じぶん(エゴ)に、価値はないことを認め

存在価値のエネルギーだけで、生きていくステージにシフトしない限り

 

「情報発信やコンテンツビジネス=個人としてのじぶん」でいる為に

定義づけた縛りによって

 

表現の不自由さをうみ、現実を生きづらいものにする事に気づいたのだ。

 

それは、情報発信やコンテンツビジネスに到達しなくとも

生きていく中で、じぶんに対する定義づけを増やせば、増やすほど

「苦」をうむじぶんの扱い方に、悩む時が来ると考えている。

 

「苦」がなくとも、じぶんでいられる

つぎの「点」に、わたし達は、必ず移動出来るし

乗り越えた「苦」の大きさは、後で、必ず魅力になる。

 

戦わないで、ただ、感受性の高いじぶんに関心を抱き

つきあってあげるのが、人生だと考えている。

 

「苦」に悩むじぶんがいるのではない。

 

ほんらいのこうありたいじぶんの本音に従って行動出来ないほど

条件に縛られ過ぎているじぶんがいるだけで

 

まったく、おなじ時間、

「こうありたかった・こうしたかった」を経験している

じぶんは同一平面上に存在している。

 

ただ、意識を変えて、在りたい方に、シフトして良い事を許可するだけ。

 

それは、悪い事ではなく、

「じぶんの可能性を知るじぶん」に従わない

じぶんへの冒涜を繰り返す事を決断する

ほんらい持っていた力を発揮するだけの行いなのだ。

 

やりたいことはみんな分からない。探さなくて良い話

 

 

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