「みんなできるのに自分だけできない…。」ことに何年、悩んだことか、計り知れない。
できない自分に落ち込む・イライラする時に知りたかったことは
「出来ないを認識して、苦痛を感じている時点で、立派な創造主である。」という事だ。
「苦=表裏一体のポジティブなエゴ」を感じるよろこびに目覚めた時
あなたは、苦痛を感じながら生きていた地点から
エゴが感じる苦痛に対しても
「ありがとう!」的な
サイコパスチックな感覚を持つ事が出来るようになるだろう。
現在提供しているコンテンツは
↓お金の創り方にフォーカスした3つの選べる企画になっています↓
じっくり読んでいただいて、じぶんのステージに合った企画を利用してください!
「真っ直ぐ、ストレートにいまのじぶんを好きになるには…」
(ステージ1)じぶんを大事に褒める手引き・【セルフイメージリメイク】
「①暇な時間を創ること・②暇な時間の使い方 に合った ③心地よいお金の使い方」 を経験する
「なにも考えてない=居心地が良い状態を創る」
(ステージ3) be cotinued・暇を乗りこなすメソッド
p.s ★各企画満員御礼ありがとうございます★
クライアントさんの他に毎日15人くらいの方からメッセージをいただくので、ライン@での各企画の参加方法・コンテンツに関するご質問、ご感想以外はお返事できていない状態です。よろしくお願いします
「苦=表裏一体のポジティブなエゴ」を悪と定義し
じぶんがじぶんと、対峙しようとする時
「じぶん自身の消滅=消えたい気持ち」を刺激することなる。
「苦」を認識するじぶんが、定義づけしない限り
「苦」は、じぶんの人生の中に一生存在しない。
「苦」は、じぶんしか、認識出来ないとは、そういう事で
じぶんが「苦」と定義づけした壁は、超えられる人にしかやってこない。
観測者がひとりの世界で、意思を持ち、振動し続ける限り
かならず、超えるよう、歩んでいる事に気づく。
「エゴ」は、苦しみの物語が好きなだけだ。
そして、わたし達が、認識する「苦」とは
いま、やっている「点」がどこに繋がるか分からない時に起こる。
そして、関連性のない「苦」という「点」だけを見つめる
「エゴ」がある限り
重い意識につられ、選択を変える事が出来ないじぶんを生み出し
状態を長引かせてしまう。
体感覚としては、じぶんが「苦」を認識したいというより
「苦」を認識しているじぶんを観測したいもうひとりのじぶんの意図を
理解する事ができれば
「苦」を観測することはなくなる。
「苦=表裏一体のポジティブなエゴ」に対する現実世界の対価を求めた時
わたし達は、じぶん以外の何者かにコントロールされ、支配されることに悩む。
フルダイブ型の現実世界=夢の世界を作り上げ、
コントロール出来ないタイムラグを作り
「苦」という遊びを創ることで
ストーリーや物語の数を増やし、実験をしたがったのは
他でもない、「源の力=じぶん自身」だ。
じぶんの中心のこころの中が
「苦=現実化のタイムラグ=表裏一体のポジティブなエゴ」を歓迎する時
おなじ苦痛が再現されることはなく
元々のじぶんに戻る事が出来ることで
じぶんにとってのじゆうを得る事が出来るのだ。
いまの一点だけの「苦」をみて
じぶんの人生をじぶんでジャッジすると
「点」は「点」でしかないので「苦」を見つめている状態になる。
これまでの「点=苦」と「点=苦」をつなぎ合わせた時
「線」を歩けていた事に気づく。
わたしは、難病指定の病気を独自のロジックを元に2回完治させた時点で、
「ふつうに・健康に・なんの悩みも抱くことなく生きている人生」から、
幼少の頃から脱線し続けてきた果てに、情報発信者となった。
じぶんが、じぶんとして生きる為の、
じぶんの為のツールが、情報発信やコンテンツビジネスである一方で
この宇宙環境は、意識エネルギーで出来ていることから
意識エネルギーの高さを追求する果てで
情報発信やコンテンツビジネス=個人としてのじぶんで在り続ける不調和が
お金や3次元生活の不安と
おなじ、重いエネルギーとなる事に気づいたとき、スランプに陥った。
じぶん(エゴ)に、価値はないことを認め
存在価値のエネルギーだけで、生きていくステージにシフトしない限り
「情報発信やコンテンツビジネス=個人としてのじぶん」でいる為に
定義づけた縛りによって
表現の不自由さをうみ、現実を生きづらいものにする事に気づいたのだ。
それは、情報発信やコンテンツビジネスに到達しなくとも
生きていく中で、じぶんに対する定義づけを増やせば、増やすほど
「苦」をうむじぶんの扱い方に、悩む時が来ると考えている。
「苦」がなくとも、じぶんでいられる
つぎの「点」に、わたし達は、必ず移動出来るし
乗り越えた「苦」の大きさは、後で、必ず魅力になる。
戦わないで、ただ、感受性の高いじぶんに関心を抱き
つきあってあげるのが、人生だと考えている。
「苦」に悩むじぶんがいるのではない。
ほんらいのこうありたいじぶんの本音に従って行動出来ないほど
条件に縛られ過ぎているじぶんがいるだけで
まったく、おなじ時間、
「こうありたかった・こうしたかった」を経験している
じぶんは同一平面上に存在している。
ただ、意識を変えて、在りたい方に、シフトして良い事を許可するだけ。
それは、悪い事ではなく、
「じぶんの可能性を知るじぶん」に従わない
じぶんへの冒涜を繰り返す事を決断する
ほんらい持っていた力を発揮するだけの行いなのだ。