ストレス0

ひとは愚かだから人生で新しいことに挑戦出来る

家庭環境が、複雑だったわたしにとって

子ども目線からすると

 

「なぜ、ひとは、喧嘩して、

傷つきあいながらも、結婚するのか??」

果てしない永遠のテーマだった。

 

「結婚=損得」の価値観を

なかなか、塗り替える事が出来なかった。

 

人生は、計画的で、戦略的で…

 

結婚も、「じぶんの準備が出来たら…

たら…たら…」 たらちゃん。

 

家庭の複雑さを経験すると

じぶんの人生は、どれだけ努力しても

底に辿り着かない永遠の準備段階な気がして

 

あまりに、それが自然過ぎると

「どちらでも良い」が大きくなる結果

 

なにも、考えなくなる。

 

よくよく、考えたら

生涯を共にするパートナーなんて

 

結婚前に、すべて分かるわけない訳で

 

ひとってなんで、結婚するんだろなとずっと疑問だったけど、
分からないから、結婚してみたくなるんだろなと、気づいた。

 

準備の為に、あれこれ、沢山知識を入れては

「あぁ、やっぱりそうなんだ。」

って思う度に、準備は長くなって行く。

 

ひとは愚かさが無くなると

 

不安と恐怖の為に

絶えず、思考をし続けて

 

さらに、愚かな賢さを身につけようとする。

 

愚かなまま、子どもの様に

感覚で挑戦出来ることが、あるべき姿なのだ。

 

ひとは愚かだから人生で新しいことに挑戦出来る

 

挑戦へのハードルが低い

フッ軽状態だと

人生はじゆうに感じると 旅人は語った。

 

難しいことを考えたり

なにかを攻略する為に

賢い事を考えようとしなくても

 

いま、この瞬間、感じた事の通りに

生きられる事が

 

本来の在り方なはずなのに

 

どうして、ひとは、収益を伸ばしたり

お金を稼ぐ為の人生から

外れる事が出来ないのだろう。

 

基本的に、

集合体意識で出来ているこの世は

 

「みなが、お金の為の社会体制が限界〜!」と言えば

 

違うホログラムが出てくる

割と単純な仕組みなはずなのに

 

どうせ、おとなになってから伸ばした所で

対して、変わりない思考の賢さの為に動いて

 

苦しみを味わいたい、経験したい人が沢山いる。

 

恐怖も、苦しみも、憎しみも、怒りも

すべて、愛だから

 

体験してはいけない、

感じてはいけないというのも おかしなはなしだろう。

 

ひとは愚かだから人生で新しいことに挑戦出来る

 

ひとが、もし、やる前から、

すべて理解出来るようなパーフェクト人間だったら

 

この世はつまらなさ過ぎるって話を何度も見てきた。

 

一方で、

あまりに、現実が厳し過ぎて、離脱したい人の声も、沢山見てきた。

 

わたしは、じぶんの本音より、

思考を優先し過ぎて

 

大事な関係をことごとく、破壊しては

無駄に傷つく事を繰り返してきた。

 

関係を途絶えさせて残るじぶんとは

 

いつまで経っても、本音を言えない

じぶんになれない、じぶん、なのかもしれない。

 

「結婚=損得」に怯えるなら

 

喧嘩してでも、

少々手痛い、失恋をしてでも

 

たったひとりの人と、

辛い・苦しいを言える関係の方が

 

人生、濃く生きられると、いまなら思う。

 

「結婚」出来るような人って

 

知的で、理性的で、感情のない、

ロボットみたいな完璧さを思考では追うのに

 

こころで、追っている人は

 

たった1人で良いから、こころの内を話せるか、

話せなくても良いから

 

無な状態で、横にいてくれる人…。 

なのかもしれない。

 

幸福って、

忙しくて、かっこよく在る事だと思い込んでいた節があって

 

あれだけ、いっぱい、

外側の条件や、外のことを気にしていたのに

 

太陽の下で、何にも話していないけれど

気づいたら、時間が経っている

 

ことばを交わさないけど 

時間を共有することなのだと

いまなら、思うのだ。

 

ひとは愚かだから人生で新しいことに挑戦出来る

 

ひとは、愚かだから、無謀な挑戦をする。

 

挑戦も、新しい事も

もちろん大事だけど

 

じぶんの本音を抜きにした

 

外側の情報から得られた事だけで挑戦する事は

ただの自殺行為になるし

 

じっさい、そうだった。

 

新しいことに挑戦する時は

 

「ほんとうに、

ほんとうにそれで後悔がないのか⁇ 」

 

確認しなければならない。

 

人生1回だから愉しみたい

エゴの気持ちと引き替えに

 

人生1回だから

いま、この瞬間に、失ってはならない

大事な関係だって、ある。

 

愚かな方向に生きている時って

愚かな方向に進んでいる事に  

 

散々失敗した後になって

一切、気づかない事に気づいても もう、遅い。

 

じぶんの愚かさを知らないから挑戦出来、

 

ほかの誰かでも変わりは効くと刷り込まれて

育っているけれど

 

じっさいは、1人たりとも

ほかの誰かの替えは出来ない事に

気づかなければ

 

じぶんの本意ではない選択を行うことになる。

 

気づいたら、怒りと虚無感の淵に

じぶんで連れ込んでる的な事もあるからこそ

 

じぶんの選択が

じぶんで選択した事か、

 

じぶん意外の何かによって選択した事か

逐一、見直す必要があるのだ。