ストレス0

問題を解決することだけが、良いことなのか?物事に良い悪いはないって話

死ぬ直前の

終わってみないと分からない道のりの途中で

「これは、こうだ!」と

 

ぜったい的な解を決めよう、求めようとする事が

そもそも、間違いな気がする。

 

終わってみて、わかる事をシェアする事は

他者貢献になったり

 

他者貢献の結果

じぶんの欲を満たす事が出来るけれど

 

人生の途中で

すべて、「ああしよう!こうしよう!」と

 

ひとの思考や、現実的な事の為に

コントロールしようとする生き方に

 

潰瘍を経験すると、限界を感じる。

 

「ああしよう!こうしよう!」と

エゴを中心にした生き方から

 

エゴを脱ぎ捨て

「ああ、肩肘張らずに生きて良かったんだな。」と感じるまでに

 

あと少し、時間がかかるようだ。

 

「ああしよう!こうしよう!」のエゴの通り

生きて、願望を叶える生き方も

ひとつの生き方で、肯定も否定もしない。

 

どこかの、だれかを救いたいエゴを

持ち合わせるつもりは

もう、無いから

 

「ああしよう!こうしよう!」より

「あっちでもいい、こっちでもいい」に近いのかもしれない。

好きに、選択して、

好きに、経験して、

好きに、傷つくことが、じゆうな世界だ。

 

じゆうと言えば

 

わたしのもっぱらの趣味として

 

わんちゃんや猫ちゃんの写真をみて

日々、癒されるというものがある。

 

わんちゃんや猫ちゃんは喋らずとも愛されるのに

 

人間は、ことばがあるので

幸福になれない時があるのは、とても、皮肉だ。

 

「喋らずとも、愛される人になれたらなぁ。」と思う一方で

 

ことばひとつで、

こころの余裕が出来る幸福もある。

 

ことばも、結局は周波数なので、

ことばでひとを殺すこともあれば、ことばでひとを救うこともある。

 

ネットビジネスやアフィリエイトとは、

人間の経験と叡智から編み出された

ことばの音の採掘だ。

 

人間として生きている事の価値を探求する事が、人間に出来ること。

 

「愛」とは、仕事上で必要とされる、

完璧さを求めない事だ。

 

「世間一般のマーケティングでは、

自己主張をどうやってするか??

パフォーマンスをどうやって、

うまくやるか??」を求められているけれど

 

話そうとしないけど

必要な部分を織り交ぜる会話術の方が、

とても、大事だと考えている。

 

無理に、じぶんの思う通りに、

動かそうとする

会話やことば選びのパターンが

 

結果的に、劣等感や罪悪感に引きづられたり、

トラウマになったりするから。

 

学校教育で、培われているような

解答がある事に対して、

解を出すスキルではなく

 

解答がない事に対して、

解答を創り出すスキルの方が

実用性が高いというのに

 

「お金を払ってもらったから、

解答を出す事を善とする」考えを持つことも

 

お金に支配されているようで、不自然だよね。

 

クライアントさんからもらった悩みもおなじで

本人は、解決したい風に言ってても

 

まだまだ、ドロドロな依存状態を

愉しみたい気分であれば

付き合ってあげる事が大切だったりする。

 

2回難病を経験して

 

1度目は、

どろどろな依存を脱却することに苦労し

 

2度目は、

どろどろな依存を脱却しないといけないと

 

じぶんを追い込んだら、

ストイックになり過ぎた。

 

なんでも、

解決出来る事を信じているからこそ

 

なんでも、

解決する事が、正解ではないことを

解にする事に、もどかしさを感じる。

 

悩みたい人生より、

悩まないゆとりを知って欲しい欲だ。

 

じぶんが、さきを行きながら

過程や解を創る事だけに

専念していれば悩まなくなる。

 

じぶんが、変わり続ける選択だけで

ひとを一緒に変えようとしなくても

 

(ひとを変えよう

=コントロールしよう

=共依存)

 

ひとも変わっている状態がベスト。

 

問題にしないし、

たにんの問題を解決しようとしないから

 

じぶんのしぜんな意識に沿った

人生を生きられるのであって

 

だれかの悩みを真剣に悩みにしてしまった瞬間

闇に引きずりこまれてしまうので

 

「ん〜。

そんな、難しく考えなくて良いぞ⁇」と思う。

 

難しく解こうとするから

難しくなっていって

 

かんたんだと思うから、かんたんになる。

 

目の前の

不幸な人を創っているのは、じぶんなんだ。

 

じぶんの生活を振り返ると

客観的に見て、不自然な事って

実は、たくさんあると考えていて。

 

収入を上げたい、恋愛をうまくいかせたいのに

部屋が、こころが乾き切った生活しているとか

 

ひとのサポートをしているのに

じぶんのこころの中がぐちゃぐちゃな

ままだったりとか。

 

感じた事が100%の世界だからと言って

感じた事を100%現実化したり

解決させようとすることが

 

正しい事ではない、というのが

現実世界のようだ。

 

例えば、

「雛のときに、鳥に無理矢理空を飛べ!」

みたいなやり方が

 

マインドや、メンタルを

本気で変えるなら

 

恐怖に突っ込む方が、情報量が多いので

 

手っ取り早い事が多く

 

それは、リスカのない自傷行為に近いので

 

「いますぐ、崖から飛び降りて!」が

通用する人と、

通用しない人がいる事を考えた時に

 

お金を頂いたからと言って

 

全員を崖から突き落とす事が

正しいとは限らないのだ。

 

良い、悪いの中に

結果や、形になる事だけが良いと

定義されていると

 

こころや生活に余裕が無くなって

 

24時間、

仕事やお金の事ばかり考えないといけなくなる。

 

こころの余裕から入らない事には

結果や形にはならないから

 

良い、悪いの領域から出る事で

無意識に結果を出す世界線を生きよう。