先日、1週間に2度も「お祈り」メッセージを頂いて
「わたしは、死人じゃないべ。」と思ってしまった為
「お祈り」の価値観を共有する事で、じぶんの尊厳を守る方法についてシェアしようと思う。
「お祈りしてます。」ってワードを
もし、じぶんが気軽に使ったり、他人に向けて使っているとしたら
「じぶん=神様の尊厳の守り方」を知らない訳だから、
価値観を変えるだけで、他人からの扱いは変わると考えている。
わたしは、むかしから、「お祈りって使って逃げたら、なんとか、なる精神は、
少し、考えとしてはズルいかな。」と考えていて
「お祈り」だけで、生きやすくなったり、現実が変わると考えていたり
他人に向けて、その場しのぎの挨拶で使っておけばいいや、と考え
当たり前に乱用しているとしたら、結構、危険な人だなと、正直思っている。
※ 例外として、多次元や高次元に存在している天使などの存在に向けてや
いわゆる、お祭り等の儀礼で使用する場合は、別。
結局、ひとを動かすことばって
「礼儀」や「ロジック」より「想い=愛」だから
例えばだけど、わたしのファンの方は
「ファンです=好きです!」って
じぶんの想いをことばにして下さるんですよね。
ほんとうに、相手のことを想うなら
目の前の人を
勝手に”祈って滅するようなことば”ではなく
じぶんの気持ちを伝えようって話を解説しますね。
「親の為に頑張る気遣いさんが、じぶんが家庭で大事にされていなかった事を自己開示し
お金や家族の為に忙しい生活から
芸術でじぶんの人生を創造することを愉しめるようになる話」
・ゆかもんの好きなアーティスト・歴代女性アイドル一覧
神様へのお祈りって祈ると効果あるの?って話
そもそも、この話って、
じぶんの想いや本音を口にする習慣があれば
触れなくて済む話だけど
気が抜けてると、じぶんのことばで話すことを
さぼっちゃうんだよね。
「お祈り」について話す場合
神様の定義が必要なので
また、追って、「神様」についても
価値観を共有しようと考えているが
起業家や収入高い人は
「神様は神社にいたり、
宗教的ななにかを崇拝することではないこと」
を知っている為
今回の話では、
「神様=魂=じぶん自身のことですよ。」
って話前提で進めさせてもらう。
1週間に2度も「お祈り」メッセージが届いた時
ちょうど
「じぶんの尊厳」と「親の尊厳」について
考える機会があって
なるほど、これは、
尊厳を取り返すきっかけなんだなと
SNSに
「Aさんの事を祈ってます系の用語は
ピンと来ないなぁと思ってて
“私の方が主導権あります”の
ニュアンスなんだろうけど
じぶんの本音を言えない領域を作っている時点で
主導権の無いストレス有りな
生き方を採用している事に気づいた為
私は、他者へのお祈りをしないことにした。
お祈りしたら赦される的な立ち位置はないから、
受け取らない。」と投稿した。
わたしは、
波動や周波数、エネルギーの概念について
実生活で用いる様に、
独学で勉強してきたタイプなのだけど
図のように、実生活をピラミッド型の
他者との競争社会と捉えているとしたら
じぶんの前に
「じぶんより上の人・じぶんより下の人」と
レッテル貼りする価値観・概念が
じぶんで生きづらさを創ることに
気づいてない事が多い。
「Aさんの事を祈ってます
=私の方が主導権あります(重い意識)」
っていう可視化出来ない
心の歪みや空白を読めないと
勝手に、相手の中で
じぶんの価値を下げられていて
わたしの
価値を下げても良いことを許可する事になる。
日本では、
神様にお祈りする=崇高な考えと捉える人が多く
無難にやり取り出来るからと
採用しているのだろうけれど
「とりあえず、お祈りしてます。」
って言っておけば
赦される的な立ち位置やポジションはない。
「じぶん=神様が、他人=神様にお祈りされる」
って、日本語として羅列すると変な訳で
すでに、当たり前に在るじぶんが
祈られないと何か出来ないっていうのは
じぶんの心の中で
卑下されて良いじぶんみたいな
残りカスがあるからだろうね。
他人に、祈らせて
じぶんのことを
勝手に、死人にさせちゃ、駄目だよ⁇
あなたは、生きてる人だし
誰かにお祈りされなくても
なんだかんだ、じぶんでやれる人なのだから
ペコペコしない。
他人に祈らせたら、駄目だし、
ハートが通じないメッセージに
「うんうん。」って頷かないといけないって
強要したらダメ。
ありがたくないお言葉は
じぶんでキャンセルする事が、大事だよ。
「嬉しくない。もっと大事にされたい。」
って、じぶんで言えない限り
一生、他人からおなじ扱いをされる事になる。
神様へのお祈りって祈ると効果あるの?って話
わたしはさいきん、
ビジネスの特別扱いが
エネルギー的に
むしろ、居心地悪すぎて結構、嫌になって来ていて。
「わたしの特別なオファー受けて。」って
支配チックなんだよね、ことばが。
「わたしの特別な想い=重い意識
受け取ってくれるよね。」的な。
おなじことば使ってても
ひとによって、
やっぱり全然根底が違う意識だなと感じていて
普段から、じぶんをコントロールする人って
他人をコントロールする前提なんですよ。
コントロールする前提の
「エネルギー」って重いんだよね。
特別扱いされると嬉しいじぶん
=カモっぽさを創ると
特別扱いされないじぶんを
いま、この瞬間認められてないって事になる。
そもそも、元々の無条件の愛を考えると
誰かと違って、特別なあなたへ、っていう
飢えに訴求したアプローチそのものが
支配っぽいよなって感じ。
ビジネスでよくある、
権威性・完璧・希少性・無料・特典・特別な〜
っていうワードは飢えてる時に惹かれるよね。
じぶんに安心が戻ると
「へ?」って、
なんか、パチンッと現実に戻った感ある。
じぶんへの安心だけが
毎日が楽ちんに過ごせる鍵だからなぁ♪
神様へのお祈りって祈ると効果あるの?って話
ちなみに、「お祈り」ついでの話で
起業家や収入高い人は
「神様は神社にいたり、
宗教的ななにかを崇拝することではないこと・
神様=魂=じぶん自身のこと」
を知っていると記載したけれど
収入高い人が、神社に行く本を読んで、
熱心に神社の情報を探した事があるけれど
あれは、神社の宣伝だね。笑
もちろん、神社に詳しい人に聴けば、
やれば効果がある事や
ほんとうに良い場所もあるし、
神社もビジネスな訳だから、
宣伝を否定する気はない。
むしろ、ひとの悩みや
邪念が集まりやすい場所だから
神社に詳しくなりたいとかでなければ、
起業家や収入高い人は
「神社への神頼みをする時間があるなら、
パソコンの前に座り、仕事している」ことから
考えると、
神頼頼みや、一発当てることに一喜一憂することより
もっと、出来ることはあると考えている。
「神様に不安な時だけ、助けて欲しい。
=飢えてるから特別視して欲しい。」
ってお祈りするより
「神様=魂=じぶん自身のことだから、
ふだんから、最大の努力をしようね。」って話。
後者の方が、不安定さが無く、
じぶんですぺてコントロール出来るから良いよね。