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ストレス0

お互い好きなのに本当に好きな人には好きと言えない心理はじぶんの事が好きになれないから

先日、セッションを行っていた時に

 

「てか、なんで、精神的なところで、13年近くも好きだって認識しているのに

好きな人に好きって、言えないの??

そんなに、周りの目を気にして、どうするん??笑 じぶんの言いたいこと言えば??

だから、いつまで経っても、変わらないんだよ!」と喝を入れてもらった為

 

好きな人に、なかなか、好きって言えなかった

13年分の想いを書き留めておこうと思う。

 

人生の半分くらいの時間をかけて

たった1人に対して、本能的な、根本的な好きって気持ちが変わってない事に

催眠療法によって、気づいた時

 

自立する為に、

じぶんから、連絡を絶った事を死ぬほど、後悔したし、3日ほど、絶望したよね。 

しっかり、感情を感じ切って。

 

世間がいうほど、簡単に、たったひとりは変えられない事に気づいた時には

選択をおおきく間違えた愚かさに、理性が死にそうになった。

 

エゴと思考の選択を優先して

じぶんの気持ちを奥深く、隠した結果、

何度目かの、膝から崩れるほどの後悔に気づく、という。

 

ひとって、欲望の為に、愚か過ぎるよね。

 

「また、いい恋があるから!」「つぎがあるから!」っていうのは

 

本音に誠実じゃない生き方をして

人生を散々にさせ、

 

「ほんとうは、こういう生き方をしたかったわけじゃないのに…。」

って、思わせて、ストレス度高い生活をさせたい

 

支配層が、流行らせたいことばなのかなと、いまなら、わかるよね。

 

幸福になれない、依存的な結婚生活の勧誘の為に

たくさんの、選択を間違えさせ、思考を支配して

依存的な関係を作り、若いうちのじゆうを奪って、子どもをつくらせ

女性を後悔させる。

 

おんなの価値は、子どもを産むことだけじゃない。

 

てか、ひと、ひとりの価値って、そんなに、簡単なものじゃない事を考えたら

どういう意図で、流行らせたいことばか、

 

それを言う事で

 

じぶんの価値・ひととしての尊厳を下げさせられていることに気づいていたら

 

「たった、ひとりは離してはいけない」事がわかるよね。

 

上手に、諦める選択なんて、

ビジネスを、男女でちからを合わせて、長く続ける事を考えたら、ありえないんだよ。

 

ひとは愚かだから人生で新しいことに挑戦出来る

 

「たった、ひとり」を大事にする決断すら出来ないのに、

ネットでは、おおきいことを言うのは、やっぱり、誠実じゃない。

 

幸福は、いまこの瞬間、叶ってないと 違和感ある関係性は、長くは続かない。

 

潰瘍まで至って、はじめて気づくことがたくさんある。

 

じぶんが、我慢すれば、という我慢癖が、

どれだけの後悔と、他人への迷惑をかけ、ひとを傷つける選択なのか、ということを。

 

じぶんの我慢は、依存的な勝手な自傷行為過ぎたんだ。

 

フラットに書きながら、

やっぱり、フラれたらどうしよう、どう思われるか気になるっていう弱さは

まったくないじゃないけど、

 

ほんとうに、じぶんにとって、必要な関係って

失った後になって、理性が壊れ、エゴが悲鳴をあげるような、そんな存在。

 

ひとが、嫌いだと思い込んでいたのに

めちゃくちゃ、ひとが好きな事に気づいた時とおなじように

 

ほんとうに好きな人は、何年も互いに傷つけ合う選択をして

失ってから、深みが出て、気づくもの。

 

エゴ的な刺激による好きと「愛」は、まったく別物。

 

「エゴ的な刺激による好き」は、エゴの周波数だから

どれだけ、好きでいたいと思っても、傷つけあうことしか出来ない。

 

好きになろうとして、好きになること、好きでい続けること

努力して、がんばって、繋ぎ止めたり、

お金や社会的な定義によって、愛し続ける事は出来ないのだ。

 

本能的で、無意識に身に付いて

どこにいて、何年経過しても、

当たり前に、じぶんの中にあり続けるものが「愛」だと、わたしは思う。

 

ハリーポッターの、ダンブルドア先生が

たとえ、肉体が無くなったとしても

側に、当たり前にあり続けるものは

「ハリー、愛じゃよ、愛。」って言ってたことばは、ほんとうだったんだ。

 

「愛」は、きびしく、冷たいものだけど

互いが、どんな選択をしたとしても、尊重され、守られている。

 

表層上は、視えなくても、危ない道にいかないように、忘れないように、ずっと。

 

傷つける選択をしたからこそ

何年も時間が経って振り返った時に、

 

その7年も、無意識の選択が

すべて、変わってなかった事に気づいた時は愕然とした。

 

悪い方に傾いた時も、視えないちからで守られていて

 

大事ななにかを思い出せないような感覚のまま

お金や仕事の為に、生き急いだじぶんの愚かさが、いまは、痛い。

 

かんたんなひとことを言う器がなく、器を育てる時間も

おおきなちからで、守られている防具みたいなものが、「愛」。

 

親から、散々、否定された、偽物のじぶんの鎧を外す為に

無駄に、傷つけあったり

 

親に決めつけられた、じぶんのことが、1ミリも好きになれなくて

 

結局、じぶんが、じぶんに戻る為に、必要だったことも

傷つけたくないからこそ、

じぶんから手放した、好きな人からの「愛」にほかならない。

 

傷つけたくない、大事にしたい想いが、強ければ、強いほど

傷つけ続けながらも、育つのが、「愛」。

 

きっと、わたしが、人生で最も、依存した

母親への「愛」も、傷つける選択を互いにし続けるからこそ

 

こうして、ネットビジネスという形が出来上がっていて

 

母の依存的な愛のおおきさも、時が経つにつれて分かるのだと思う。

 

「愛」は、かんたんに受け取るものじゃない。

 

もう、すでに、無意識に、

大事だけど、なんだったか、思い出せないような感じで

いつも、在り続けている。

 

一度も不安になることなく

当たり前に、愛され続けていたことに気づかないままに。

 

もう、連絡しないと言ったくせに

 

帰る場所が、

わたしの中には当たり前にあって、離れていても

なにも言わない器の大きさにいつも、守られていて

 

形の無いもので、

探しつづけては、エゴの刺激に翻弄されて、見失うもの。

 

無意識の内に、帰りたい場所があるから、底無しにがんばってしまえたもの。

 

ほんとうに、好きは、傷つけあっても

じぶんの知らない内に、強く、濃くなるもの。

 

長く、依存して、傷つけあいたくないから

傷つけたり、喧嘩できることもある。

 

好きじゃなければ、傷つけたくない(依存的で、支配的な関係にしたくない)と

感じることもなかったから。

 

ひとを愛し、好きになるとは、

視えない愛によって、じぶんの小ささと愚かさを知ること。