先日、「結婚」に対する価値観についてセッションで話していたら
「わざわざ、結婚する必要ないじゃん 笑」って話になって
「やっぱり、そうだよなぁ。」と感じたのでシェアする。
毒親家庭で育ったわたしにとって
「結婚」に対する印象が最悪だった為
「結婚しなければ、ならない」病に染まっていた気がしていて
気づいたら、だれかの期待や価値観に沿って
人生を選択していた気がして
「もう、充分、束縛されて生きて来たから
わざわざ、束縛されることを幸福と言いたくない」に至った。
精神的に、縛ることで、幸福を得られる人にとっては
良い経験になるのかもしれないけれど
結婚は、じぶんが満たされない領域を埋めてくれる
アクセサリー代わりじゃない。
わたしは、わたしを縛りたく無い。
というより、好きな人を、永久に縛り付けたいと感じる欲求って
なかなか、サディスティックな価値観だよなと、いまさら思って
「わたしの好きな人は、
わたしは縛らないけど、おんなとして大事に扱って欲しい。」に変換することにした。
(もちろん、極一部の、結婚制度を利用して、愉しむ人がいることも知っている。)
「縛ること=幸福」って価値観を広めたい支配層は
あんまり賢くない脳の機能を利用して、硬く、硬く 縛ることがお好きだ。
ある意味、幼少期の頃、結婚に対して良い印象を持てなかった事で
若いうちに、「結婚=おんなのしあわせ」が
完全崩壊した事が、幸運だったかもしれない。
だれにも、依存したくない。
これしか方法がないって具合に、
洗脳して、依存させたがる人はめんどくさい。
時々は、かまって欲しいけど、基本、かまって欲しくない。
でも、好いていて欲しい。
独立心の強さが結果的に、
逆に、依存を強くして人生が狂いまくった事は、想定外だったけど
社会構造の理不尽から、
わりと、はやく抜け出せた事は、一生懸命がんばって良かったと思っている。
「したくない、からこそ、そうしてしまうかもしれないこと」に対して
リスクを取った時に、はじめて、新しい道が開ける。
気づいたら、周りに
おなじ価値観を持つ、20代の同級生は
ひとりもいなくて、相変わらず、独立独歩の精神で生きている。
毒親問題も、精神的自立も、社会的自立も、
みんな、「解決したい!」というけれど、
命がけで、生き急いで掴んできた色んなものを考えると
大抵の人は、解決する気力を作る前に
社会的に、潰されていくのが、じっさいのところだと思う。
社会的な洗脳を解いて、
じぶんで生きる為に、かけたお金も、年数も、知識量も、半端ではないから、
かんたんに、依存から抜け出せるとも考えてなくて
依存から、抜け出すということは
家族を放棄する事でもあるから、こころが優しすぎると、出来ないことでもある。
でも、家族に依存する方が、ほんとうは、互いにとって良くなかったりするけどね。
社会制度的に考えても
子育ても、家事も、
全然、居心地よく無い親族付きあいも
女性の負担が増えるだけだから、やりたくない事はやりたくない。
無意識の選択で、「28歳の年に結婚したい。
出来れば幼馴染みたいな感じが良い。
けど、結婚する前に、
同棲したい、海外に行ったり、
満たされなかった幼少期の欲求を解消したい。
けど、結婚相手は、めちゃくちゃ、過去が重くても
誠実で大丈夫な人が良い。」 と
明確にオーダーした通りに人生が進んでいる事に気づいて
じぶんの未来を支配的にしない事は、とても、大事だと考えている。
「責任」を持たせたら、幸福になれる論はひとを支配したい側の発想で、
基本的に、重たい価値観を採用したら、重い人生に引きずられる事は、まちがいない。
「強くなる」ってことは、上に上がるって発想だし
むしろ、強くなろうとしないニュートラルな状態で出力するから
責任を持とうと考えなくても、持つ事が出来る。
順番をまちがえない事が大事だね。