ストレス0

仕事のこと考えるとプレッシャーで眠れないとき

仕事のこと考えるとプレッシャーで眠れないとき。
じつの弟に言われたひとことが、秀逸だったので、シェアしたい。

 

「フリーランスってさ、仕事徹夜でして眠れない感覚が怖いと思うんよね。

 

寝ずに、仕事やる感覚がふつうなら、残業あったとしても、
比較的、やりたいことに近い仕事の階段を登っていって、寝れた方が良いかな。

 

そんなに先のこと考えて、眠れず体調崩すなら、

いまやっている事の積み重ねだけで、まぁまぁ、幸福に生きる方が安心。」

 

情報発信・ビジネス・アフィリエイトで、
お金を稼いで生きることが当たり前になった結果

 

ファンが増える度に、「かんたんに出来ることの積み重ね」で進めることより

「当たり前に読み続けて貰う為の苦節」に悪戦苦闘するようになった。

 

どちらかというと「理解できないことを理解すること(抽象度が高い概念の解釈)」の為に

時間を消耗しては、作りかけで、手が止まる事が増えたのだ。

 

駄作を創っている時は、駄作かどうか、だれも分からない事が

「仕事のこと考えるとプレッシャーで眠れないとき」だと考えている。

 

①マニアックな知識や作業の習得 

②組み立てが出来ない段階で、複数分散させた作業

③ファンが離れないように創り続けること …

 

「情報発信・ビジネス」を継続して、続ける為なら

 

ローンチの為に、お金を個人で稼ぎ続ける為に

睡眠時間を削ったり、「これまでの安心」を辞めてでも「忍耐」しよう的な

洗脳チックな内容を読み漁る内に

 

「ふつうの感覚=いつもの日常をただ生きること」が、

次第に分からなくなるようになっていった。

 

いま振り返ってみれば、じぶんの人生の暇の使い方を心配してもらうぎりはなかったり…

そもそも、それが、誰でも出来ることで、かんたんなことだとしたら
おおきく、人生を変えていく為に出来たはずのことは、
学生の義務教育中に、それぞれ体得していると考えている。

 

なんなら、お金を創ることを考える生活が当たり前になって

パソコン優位で過ごすじぶんの方が、時代遅れな心地すらした出来事があった。

 

ローンチや商品作りのことばかり考え過ぎた出会った

 

「いまを生きる為に、会社勤めしているサラリーマン」

「将来の不安がなく、好きな人と、I日I時間、憩いの時間を過ごす学生…」

それぞれ、じぶんの幸福地点を理解していて、それ以上に興味関心をもっていなかった。

 

願望がおおきいことが悪いのではなく、幸福地点に堺がない事が

現実を組み立てる障害になりやすい。

 

お金やパソコンのことを気にせず

「ふつうにいまを生きる感覚」でも、「ありふれた幸せ」をヨシとする価値観に触れると

 

「ふつうにいまを生きる感覚」を捨ててでも、欲しかったものって、

意外と、極一部の人にとって、必要と感じるもので

 

万人にないから、掴みたいものや、掴んだものから

「興奮」を得ることはあっても、「いま」の連続性がない

「投機」の感覚を幸福と呼ぶことは
「暇の使い方のじゆう度」と言えると、いまは、思っている。

 

最も、失敗した事は、
年収一千万円程度では、会社勤めしていようが、個人で生きていようが

たいして、変わらないというのに

 

年収一千万円程度の為に
「出来ないことを出来る以上にしようともがいたこと」だったと考えている。

 

正直、売れているか、どうかさえ分からない扇動のことばや
実業系のアカウントの華々しさは、
まるで、海外旅行に毎日いるような錯覚に誘惑されやすい。

 

じぶんの感覚の中で、「やりたいけど(いますぐ)出来ないこと」の堺が理解出来ないと

「やりたいこと」のストレスに埋もれている内に

だれしもが、錯覚によるブレッシャーで、「出来たことが、なにか」分からず

継続が出来なくなる事がある。

 

仕事を継続することが、プレッシャーなら

人生は、暇の使い方次第で、ゆとりを持って寝る選択が出来る事を思い出す必要がある。

 

フリーランスや個人の起業こそ、
肉体の健康の保証は、じぶんで行う必要がある。

 

睡眠は不可欠だけど、削りやすいことは、

じぶんが、死んだらおののいてしまう人の顔を想像出来ないから。

 

じぶんに、眠る許可が出せないことと

お金や仕事を紐づけることが、眠りのプレッシャーになっていると言えるとしたら

 

人生=暇の創り方には、いろんな手段があることや

人生=暇の使い方に関して、なにを削らなければ、落ち着きが得られるか、

考えるタイミングだと考えている。

 

生きていることとは、肉体を持って暇を過ごせる秘訣で

 

肉体の保証がなければ、

そもそも、いまあるものすら、無くなることを

よゆうがなければ、考えることがない。

 

肉体の不便さによって、プレッシャーに耐えられないからだと考えるのではなく

肉体を持って、時間という暇を増やすことを愉しむと

人生=苦行や競争の定義から外れる事が出来る。