ストレス0

好きなこと(やりたいこと)とできることは違う

「やりたいことと出来ることは違う」が

理解出来なかった時

 

極端に、過去に執着して、現実を創ろうとしたり

極端に、未来創造に固執して

 

いま、この瞬間を幸福に生きる事を忘れた。

 

“わたしは、何者かにならなくて良い”

“わたしは、誰かを助けますと、言わなくても

もう、影響を与えている”

安堵感をもっとはやく知っていたら

 

毎日、重い出力で、

情報発信をしなくて済んだだろうと思うと

 

「やりたいことや欲しいものと、出来ることは違う」と

認識することの大切さを実感する。

 

当たり前の事が出来た先で

じぶんのやりたい事を出来るようになるから

じぶんも納得するんだろうなと思うと

 

「やりたいこと」より

いま、この瞬間の

じぶんの満足の感覚の方が大事なんだよね。

 

“何者かになる為の努力”は

一握りの上流層の為にある支配的なエネルギー。

 

“いま、この瞬間のじぶんが

勝手に幸福であり続けること”が、最大の他者貢献。

 

“わたし達は、

いま、ここに生きているだけで特別”

というありふれた幸福を忘れて

 

“特別に評価される” “特別に扱われる”為に

外側の評価を頼りに、一生懸命に生きる。

 

わたし達って、すでに特別なのに、

なんで、誰かに特別にしてもらいたがるのか、意味不って感じ😋🍭

 

あなたの(お金)都合の為に、

特別じゃないじぶんなんて演じてあげるつもりは、ないわよ??

 

存在しているだけで、すでに、じぶんが特別なことを忘れて

“他人のことばかり考えなさい”と教え込まれるけど

 

最も、大切にしなければならないことって

 

「“他人のこと”より“じぶんの感覚だよ”

他人のことなんて、理解仕切れる訳ないじゃん。」

という至極当たり前のことを

 

起業家の先輩に言われて

 

過去の話・未来の話・他人の話を

真面目に考えることを辞めることにした。

 

わたしは、難病を克服した経験を元に

こころのふらっとな感覚を

シェアすることしか出来ない。

 

その経験の克服によって得たマインドに

価値を感じない人には、なにも、渡せるものはない。

 

ただ、いま、出来ることをする。それだけ。

 

 

 

好きなこと(やりたいこと)とできることは違う

 

ストレスや執着・依存に凝り固まり過ぎると

出来ることが出来ていない事に

フラストレーションが溜まり過ぎて

 

じぶんが、思ってもない方向に

 

やりたいことを

無限に量産してしまうリスクがある。

 

出来ることが出来ていたら

割と、幸福に生きられるはずなのに

 

「がんばらなきゃ!!」と背負う重い意識と

エゴを起点とした脳内の刺激欲しさに

 

好きなことだけを考え過ぎて

現実の足元の幸福に気づけない

思考人間になってしまうことがあるある。

 

“他人のことばかり考えなさい”

“客観的に考えなさい”

“じぶんを大事にしなさい” は

 

どれも、おなじことばだと考えていて

 

「他人のことを考えて

自己卑下して生きなさい、背負って生きなさい」ではなく

 

“あなたが、本音で生きてくれないと

不調話が起きて

わたしが主役の場所を奪ってるから

じぶんの気持ちに沿って、生きなさいよ”

 

だと思うんだよね。

 

「やりたいこと」を言っているはずなのに

どこか、じぶんごとになれていない事に

なかなか、気づくことが出来ない。

 

むしろ、「やりたいこと」を考えるって

 

「いま、ない」

じぶんのセルフイメージと

共鳴してしまうから

 

過去のじぶんを起点に物事を考えたり

 

欠乏感から、

未来のことを考え過ぎてしまったりして

 

めちゃくちゃ、非効率な事に

あとで、気づいたんだよね。

 

極々、一部の人しか

「いま、ない、じぶん」を丸無視して

人生を構築することは出来ないんだな、と。

 

好きなこと(やりたいこと)とできることは違う

 

わたし達、人間は、確かにパワーはあるよ??

 

でもね、「やりたい」から

時間のラグがある物質世界で

 

なんでも、「エゴ」の思うまま叶えることが

果たして、幸福度が高い生活なのか?考えた時に

 

どうも、支配臭を感じちゃうんだよね。

 

日本って、特に

「エゴ」を満たしてくれる

美味しい食べ物に、漫画やエンタメの世界

 

いっぱい、いっぱい

満たされた錯覚を起こすものが、沢山あるよね。

 

「エゴ」を満たしたり、欲を満たす事で

 

「魂の成長の為に

どろどろした経験をしようよ!」という

誘いが沢山あるように見えていると

 

わたしみたいな具合に

 

ピュアでいたい人にとっては

 

じぶんの欲求を可能な限り満たす為に

「エゴ」を満たす為の感覚が

 

すぐ、腑に落ちなかったりする。

 

「エゴ」を満たす為の生き方をしましょうって

なにがしか、重く感じるというか。

 

というより、周りに決めつけられた

「エゴをあなたも満たしたいでしょ?」っていう

 

現時点で、飢えている事前提にされるのが

重いんだよね。

 

だから、わたしは、最近は

「悩んでないじぶん。」を設定して

行動するようにしているよ。


悩んでないから始まると

しぜんに過去の事を話さなくなるから

 

他人からの印象も良くなるし、

 

悩んでいるじぶんをターゲットにする人って

長い関係は築けないと思っていて。

 

だから、わたしのファンの人と話す時も

 

本音は、悩んでないけど

一緒に、もっと、しっくり来る

 

ことばの作品=音=周波数を探したいよね、って

価値観なんですよね。

 

探究心かな。

 

好きなこと(やりたいこと)とできることは違う

 

「エゴ」を満たす為の生き方を推奨する人が

よく、ネガティブは幻想ってことばを好む割に

 

目の前の人を

「悩んでない人」にしようとしない事は

すごく、不自然だなと感じていて。

 

じぶんの過去の経験を押し付けたい

「エゴ」をみたそうとすると

じぶんもストレスになるよね。

 

「悩んでない」は真理だから。

 

「悩ませたいじぶん」を創る限り

ファンの人は、みんな病んでる人

ばっかりになっちゃって

 

仕事いやになっちゃうしね〜。

 

あとは、じぶん的に、やりたいと感じた事も

 

分離している世界では

 

他人から、求められる事が違うことが

正解だったりするから

 

思ったまま、挑戦してみて

 

じぶんり周りの反応をみてみるのも

地球環境あるあるだなと思っている。

 

好きなこと(やりたいこと)とできることは違う

 

キャバ嬢さんとか、YouTuberさんの話を聴いていると

 

例えば、

わたしは、

過去を起点に「音楽が好きで、やりたい!」と考えていても

 

現実の擦り合わせをすると

 

最も、課金していることや

潜在的に向いていることって

 

不調話なノイズを読み取ってキャンセルする

セッション系が向いてたりする訳で

 

「やりたいことと出来ることは違う」の

ことばの重みが、とても、よく分かるんだよね。

 

むしろ、じぶんがしない職業が

たくさんあるから、

世の中は豊かなのかなと思ったりしていて。

 

すべて、出来ないから

じぶんが出来ることを当たり前にやっていく事が

 

じぶんを幸福にして

社会も調和に導く事が出来るのかな、と。

 

わたしは、周りの人ほど

元々、人間チックな「エゴ」に執着して

頑張って、成功することに

 

憧れはするけど

今世で叶える事に対して、興味がない事に気づいて

 

それは、「エゴ」を起点に

じぶんを成長させる事が出来ると

絶対的な確信を持っている人からすると

 

受け入れられない価値観で

わたしの弱さかもしれない。

 

でも、条件付きの愛より

元々の無条件の愛の力に対して

絶対的な信頼を持っているし

 

じっさいに、難病を2回完治させる過程で

 

頑張ることや、成功に対する

エゴちっくな執着こそが

生きづらさに繋がっていたなと経験したからこそ

 

ふらっとに生きる事を伝えていきたい。

 

ふらっとに生き続けた先で

憧れが叶ったら

それはそれで、ひとつの本望。