機能不全家庭・毒親

「母親に殺されかけた」毒親育ちのリアルな体験談

毒親の虐待は「しつけ」ではない!命の危険を感じた私の体験談

「毒親」という言葉を聞いたことがあるだろうか?単に厳しい親ではなく、精神的・肉体的な虐待を行い、子どもの心や人生に深い傷を残す存在だ。

多くの人は、「親なんだから愛情があるはず」「親のしつけが厳しかっただけでは?」と思うかもしれない。しかし、毒親との関係は単なる「厳しいしつけ」ではなく、時には命の危険を感じるレベルに達することもある。

私自身、母親に殺されかけた経験がある。その記憶は今も鮮明で、私の人生に大きな影響を与えている。ここでは、その体験を綴るとともに、どうやって生き延びたのか、そして今も続く心の傷と向き合う方法についてお話ししたい。

母親に殺されかけた実体験|虐待の詳細と心に刻まれた恐怖

幼少期の出来事

母親はちょっとしたことで激昂するタイプだった。私は何度も「お前なんか産まなければよかった」「死ね」と罵倒され、特に言葉による暴力が多かった。

あまりにも人生を削るような暴言ばかりだったため、すべてを覚えているわけではないが、ある日、父親にも「お前なんていなければ良かった」と言われ、完全に逃げ場を失ったことがある。

ある日、母親が包丁を握りしめ、「お前なんか生きている価値がない」と言いながら私を壁際に追い詰めた。何か言えば怒りを買うだけだった。謝るべき理由もわからず、ただ恐怖で体が固まった。「このまま刺されるのか」と覚悟した瞬間、運よく母親の怒りの矛先が別の方向に向かい、私はその場を逃れることができた。

思春期の出来事

思春期になると、精神的な支配がより強くなった。「死にたいなら死ねば?」と言われ、実際に刃物を握らされたこともある。「死ななかったら、もっとひどい目に遭う」と脅され、ただ従うしかなかった。

周囲の反応

身内に相談しても、「親だって大変なんだ」と言われ、まともに取り合ってもらえなかった。学校の先生にも「親子の問題だから」と流された。助けてくれたのは、同じく子どもで力のない友達だけだった。

世間には「親は子どもを愛しているものだ」という固定観念があり、毒親の存在を理解してもらえないことが多い。

毒親から逃げる方法|心の傷を癒し、自分を取り戻すには?

逃げる決断

私は長い間、「親だから許さなければならない」「そんな親でも従わなければならない」「親に逆らったら何をされるかわからない」と思い込んで暮らしていた。しかし、その考えが自分を苦しめ続けていることに気づいた。

成人する頃になると、医療系の国家資格を取得し、物理的に距離を置くことを決めた。経済的に自立し、母親と関わらないようにするつもりだったが、正直なところ、完全には断ち切れなかった。

物理的距離を取っても、母親に説教されたり、詰問されたり、脅されている感覚が消えず、幻聴に悩まされ、生きた心地がしなかった。

心の傷を癒すために実践したこと

  • カウンセリングを受ける → 専門家に相談したが、適切なカウンセリングを見つけるのは難しく、役に立たないこともあった。
  • 自己肯定感を回復する → 「私は悪くない」と言い聞かせ、自分を責めない習慣を作ることが大事だった。
  • 毒親との距離の取り方を学ぶ → 父親の協力もあり、関わらなくてもいい環境を手に入れることができた。心の安全を最優先に考えることが大切だった。

今すぐできる!毒親の支配から抜け出すための具体的な行動

もしあなたが毒親に苦しんでいるなら、「親だから」と無理に許す必要はない。あなたの命と心を守ることが最優先だ。

役に立つかは運による相談先

  • 児童相談所(18歳未満) → 虐待の通報や相談ができる。
  • DV・虐待相談窓口 → 地域ごとの支援機関を活用する。
  • 心理カウンセリング → 心の整理を手伝ってくれる専門家に頼る。
  • 毒親コンサルサービス:私が提供する専門的なコンサルティングで、あなたの悩みを一緒に解決します。

ただし、私は相談するなら、自分の境遇を話せて共感してもらえる場所でなければ解決しないと考えている。上記の機関は、あくまで過去の経過報告と、対策したけれど解決しなかった実績作りのために利用するのがよいかもしれない。

毒親と絶縁するのは間違いではない。 それがあなたの人生を守る手段なら、どうかためらわないでほしい。

まとめ

私は母親に殺されかけた。心の傷を癒す努力を続けることは、何年も時間がかかるものだが、なんとか生き延びることができた。今も傷は完全には癒えていないが、「親だから許さなければならない」という呪縛から解放されることで、自分の人生を取り戻しつつある。

もし、あなたも苦しんでいるなら、一人で抱え込まないでほしい。助けを求めていい。逃げてもいい。それが「正しいこと」なのだから。