じぶんを生きる方法

じぶんのこころの中に曇りが無ければ人間関係で疲れない話

空中間には、さまざまなエネルギーが流れているので

じぶんが、どの意識を選択しているか、選んでいない時

 

ちょっとした出来事で

 

過去、たにんから聴いた

こころに引っかかる事が、あたまの中をループし始める事がある。

 

こころの感度が、繊細過ぎると

じぶんで無い意識エネルギー状態をキャッチして

 

エゴが「じぶんだ!」と錯覚を起こすので

 

「あたまを空にして過ごすこと」と

「あたまを暇にすること」の違いが分からないと、エゴに振り回される。

 

感覚的には、雑念はすべて取り去り空にし

こころのやりたいことは、無心でやっていないと

エゴの魔が刺してしまうみたいな感じかな。

 

とは言え、物質世界の3次元空間は

思考による不安や恐怖の「エゴ」を愉しむ為に生活している人が大半なので

 

「エゴ」の通りに生きることも人生だし

辛ければ、こころ(意識エネルギー)の周波数を上げて生きることが、大事だ。

 

「エゴ」の通りに生きること

=不安や恐怖の中に生き、思考を停止させることは

ほんらいのじぶんとは、乖離し、楽で、生きづらい。

 

こころ(意識エネルギー)の周波数を上げて生きること

=肉体を離れて、意識を保ったまま、宇宙空間に戻る為に

修行する事は、制限をかけないエネルギーをじぶんから発する事になるので

自己管理の領域が増える=自由が増えるといった感じだろう。

 

肉体を持った人間同士の会話は

可視化出来ない頭の中領域を測る事が出来ない事で

 

いま、発せられたことばだけで目の前の人を測ったり、ジャッジするので

ほぼほぼ、エゴで、不調話な事が多い。

 

むかしから、ひとの会話が不調話を起こしやすく、不確実性が高い事で

なぜ、こんな不正確な言語のコミュニケーションでやり取りしているのか?

エゴの周波数ばかりな

ポジション取りの話ばかりの不毛な時間を過ごすことになるのか?疑問だった事がある。

 

「わたしは、こう伝えた!だから、あなたが悪い!」の

二元論的な会話で、いくら、ぼこされてきたか、分からない。

 

都合よく、記憶を書き換えられる人が優位で

繊細な人のこころがゴミ箱になる仕組みの果てが、潰瘍だ。

 

「不調話な会話が、めんどくさい。」と思っていたら

「なにも、喋らないで、瞑想状態に突入し、調和に変えなさい。」と

メッセージが降りてきた。

 

基礎知識が噛み合わなければ、黙る事が増えるが

黙認し、なにも変えようとしないことが、いちばんの仕事であると考えている。

 

じぶんのこころの中に、エゴがある時ほど

外側の他人を変えたがる為の方法を模索する。

 

わたし達が、人間関係を苦手とする理由は

「わたしが、外側を変える事で、わたしが楽になりたいエゴ」があるから。

 

なにも変わらなくて良い、無条件の愛によってしか

ひとは、安心して、不安と恐怖のエゴを卒業する事が出来ないのだ。

 

わたし達は、宇宙空間の中の地球に住んでいる訳なので

目の前の現実が、意識エネルギーで創られている事を考えた時に

 

可視化出来ない領域を見るちからが、すべてであることを忘れてはならない。

 

目の前の現実は、耳で聴いた、可視化しやすい言語ではなく

ひとの想念エネルギーで出来ている事を考えれば

負の感情を抱く事が、通常の暴力より、はるかに暴力的である事が、理解出来るだろう。

 

元々、他人の感情が分かるエンパス気質(エネルギーを感じやすい人)の人であれば

じぶんのこころの内が、他者に筒抜けであることを

幼少の頃から、無意識的に知っている事で

 

可視化できないこころの状態を、言語化することや

愚痴をしゃべることの危険性を熟知しているけれど

 

気質でない人は、他人の感情は分からないので

可視化出来ない想念の領域を甘くみていることが多い。

 

誹謗中傷より、抱いている感情を話さず貯める人の方がよほど怖い。

 

人の考えてることがわかるエンパス気質の能力の活かし方

 

​​​​https://yuka-mon.com/hitonokanngaeteirukotogawakaru/

 

不正確な言語のコミュニケーションから出てくる

分かりやすいエゴの周波数は幻想で

 

会話を辞めた時に放つ、エネルギーの方が、どちらかといえば、ほんらいの意識なのだ。

 

肉体を離れて、エネルギー体に戻った時、

きっと、わたし達は、「賢さ」や「かっこよさ」を持たずとも

ひとも、じぶんも、綺麗な浄化の意識エネルギーだけで愛す事が出来る様になる。

 

依存的な、「愛されたい」の意識は、本来のじぶんではない意識状態だ。

 

本来のピュアピュアなこころを維持出来ない時は

もしかしたら、じぶん以外の邪気のエネルギーを受け取りやすい事に

気づいていないだけかもしれないので

 

いまのじぶんの状態を否定する必要はない。

 

ただし、同情してくれる人はいないので、早期解決の為の行動をおすすめする。

 

そして、仕事の関係で、人間関係に苦しむという事は

 

上下関係の社会で、他人と比較し、競争しないと愛されないという恐怖心から

ピラミッド社会に加担するエゴの周波数を

じぶんも持ち合わせているから、不安や恐怖を感じている事を忘れてはならない。

 

元々のじぶんは、他者を分別することがない。

そして、量子のエネルギー意識で出来ているこの世界は

他者とじぶんの堺は、限りなく薄いのだ。

 

無意識は、じぶんと他者を識別する事が出来ない事を考えれば

 

じぶんの意識と思っている事も

ほんとうにじぶんか、どうか、わからないくらい曖昧なものなんだよ。

 

じぶんのこころの中が、充分な満足で満たされ

 

エゴを刺激する為の、外側の情報を捨て

必要以上も、たくさんないと不安なお金、お金!の意識を

元々、じぶんが持っていない意識で生活していれば良いことを思い出す。

 

ただ、やりたいことをやっていたら良いだけなんだよね。

 

他者に向けたほんらいのじぶんでない感情を

じぶんも持っている事を無意識化は知っている。

 

じぶんのそんな気持ちが苦手だから

他者が苦手だと思い込んでいる事に気づく事が出来れば、

 

「人間関係問題」とは、個人的なエゴによる不調和である事に気づけるはず。

 

わたし達は、エゴを愉しむ為に地峡に降りてきた人もいれば

エゴを卒業し、

元々の、ただ意識エネルギーとして在り続ける為に降りてきた人もいる。

 

どちらの人生も選択はじゆうだから、

じぶんのこころが、元々は、曇りがひとつもない意識体だった事を思い出すだけ。

 

肉体を持つ為に、「依存」の重さが必要だっただけで

肉体を持った後は、エゴを外す選択は

 

宇宙環境の中の、地球に存在しているから

尊重されることを思い出すだけなのだ。