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徳を積む事に効果を求める思想は意味ない理由

「徳を積むこと」に関して

起業塾やネットビジネス界隈・スピ系もそうかな??

 

やたら、「善行の押し売り論」が流行っているので

エネルギー的に考えると「徳を積むこと」は効果ないし、意味ないって話をしようと思う。

 

「良い人でいたのに、なんで、じぶんの人生は、苦痛が在るままなのか?」と

想念を抱くということは、

採用しない方が良い価値観から得られる対価を信じ込んでいるだけだ。

 

「良い人でいなさい。結果が返ってくるから。」の良い人が

他人にとって、都合の良い人や、お人好しでいて欲しいのニュアンスであるかどうかは

逐一、確認する必要がある。

 

むしろ、優しすぎる「お人好し」だから

「徳を積まないと好かれない」と思い込まされているだけかもしれないしね。

徳を積まなくても、好かれるよ??

 

たとえばだけど、量子の世界で考えた時

 

「徳を積む」という3次元の時間の概念で言えば

「点(過去)」の行いが

「点(今)」と「点(みらい)」に持続化するという理論は成り立たない。

 

前世の善行「点(過去)の行い」があったから、

今世で救われました「点(過去)の行いによって対価を得た」と

よく言われるけれど

 

「点(過去)」は「点(過去)」であって

「点(今)」のじぶんに対価が帰ってくる連動性の仕組みはない。

 

「点(今)」のじぶんのふだんの意識が良かったから、

(不要なエネルギーがないから)「点(今)」以降が良くなるだけだ。

 

わたし達が想像する「善行」と意識エネルギーの「善行」は異なる。

 

前者は、行いで、

後者は、

ただ、不要なエゴがない振動(エネルギー)状態が在るといった感じ。

 

不要なエゴがない振動(意識エネルギー)状態が、高まり続けると

肉体を持って、3次元を経験する事が出来なくなる事を考えると

 

3次元を経験する為の

重い意識エネルギー

「カルマ=前世から引き注がれる魂の修行・課題設定」は在り

 

重い意識エネルギーが「点(今)」に在り続けているから

解消する事で、必要な学びを得られるといった感じ。

 

「3次元を経験する」という事は、重さが必要で

 

重い意識エネルギーがある場で、

重い意識エネルギーを外して、意識を軽くしていく事を学ぶ為の場が、地球だ。

 

「点(過去)」のじぶんと

「点(今)」のじぶんと

「点(みらい)」のじぶんは

 

同一平面上で、起こっているけれど

「点」同士の意識エネルギーの関連性はない仕組みだから

 

現実をいつからでも、変える事が出来、じぶんの望むじぶんを生きる事が出来る。

 

また、いわゆる、

「罪障」「いじめ」「殺傷」「流産」などの重めの観念も

 

「点(今)」の意識エネルギーの中に

じぶんが観念として持ち続けているから

 

「点(今)」の意識エネルギーの連続性の重さによって

じぶんの「点(みらい)」を更新する事が出来ないと思い込んでいるだけで

 

「点(今)」手放しを行うだけで

明るい「点(みらい)」のじぶんに移動することは、いつからでも出来る。

 

「点(今)」の意識エネルギーの中に、

「点(過去)」のじぶんの意識エネルギーと

「点(みらい)」のじぶんの意識エネルギーが存在しているだけだから

 

いつからでも、手放し、創造して良いのだ。

 

感情は、2言論を産むツールに過ぎず、賢さに導いてくれることはない。

だから、じぶんの人生を向上させる為には、

「感情の忘却の美学」に目覚める必要がある。

 

それが、意識エネルギーで生きる在り方。

 

じぶんで「点(今)」手放しを行い続けるだけで

明るい意識エネルギーに自己ヒーリングすることは、誰でも出来るけれど

 

振動数を変えるだけで、望む現実を手に入れる事が出来るこの概念が、主流になると

 

おそらく、在るように視えていた現実世界=夢が、

夢だったことが、リアルに体感出来る人が増えてくることで

これまでは隠されてきたのではないかと考えている。

 

もしくは、気づきはじめた人が増えた時空感に

わたしの意識が移動したか、の、どちらかだ。

 

「10年前の1月になにをしていたか?どんな感情で過ごしていたか?」

ごっそり、忘れてしまうことや(記憶の忘却理論もおなじ)

 

他人とおしゃべりしている時、AさんとBさんの間で、共通認識が変わっていて

記憶が都合よく改ざんされていることを考えると、

 

意識エネルギーによって、記憶が変わり続けたり

「点(今)」に必要のない記憶=意識エネルギーの周波数が失われていることから

かんたんに分かる話だ。

 

思い出せなくなった「点(過去)」のエネルギーの箇所は

じぶんが経験している「点(今)」のエネルギーに都合良く経験が改ざんされる事で

 

「点(今)」が変われば、

「点(過去)」の解釈が変わった延長線上に

「点(みらい)」のじぶんが創造される。

 

「点(過去)」のエネルギーの箇所の意味合い=周波数を変えると

「点(今)」のじぶんの意味合い=周波数が軽くなる事で

「点(みらい)」のじぶん=周波数が軽いじぶんの映像を体験する事が出来るので

 

こんま1秒以降の「点(過去)」の解釈を軽くするだけで

「点(みらい)」のじぶん=周波数が軽いじぶんの映像に

意識エネルギーを移動し、体験する事が出来る。

 

そのフィルムの数は、宇宙空間に無限にあると言われており

 

わたし達が、夢と呼んでいるじっさいには、

多次元の世界で「点(過去)」は常に書き変わっている。

 

わたしは、夢見の人なので、

じぶんの過去の解釈を変え続ける事で変わっている事を経験して覚えている事が

「点(今)」のじぶんとなり、こうして、書き物や企画に変わっている。

 

ツインレイの男性と体外離脱で出会うとどうなるのか?特徴と前兆

 

 

※ 魂のカルマの昇華の話は、

ここでは除外し、「点(今ここ)」を変える為の

意識・感情エネルギーのみで記載しているけれど

 

魂のカルマの昇華の話と

「点(今)」のじぶんの向上の話を混ぜて、考えると混乱すると考えているので

やり方はおなじだけど

 

カルマレベルの重い経験の解き方は、企画の中でお伝えする。

 

「点(過去)」はすべて、良い意味で都合良く解釈出来ていない限り

 

「点(今ここ)」のエネルギーに

「点(過去)」の重いエネルギーが乗った状態で

「点(みらい)」のじぶんが

 

不快のない「快」の面だけを見ているじぶんにたどり着くことは出来ない。

 

罰を受けるべき・罰を与えるべき概念はないって話

 

 

強いてあげるとすれば、

 

「不徳」の行いをすると、

じぶん自身の「点(今)」のセルフイメージが下がり

 

「無」で淡々と積み上げた行いが

じぶん自身の「点(今)」のセルフイメージが上がる

 

じぶんのセルフイメージに

重い意識エネルギーか、軽い意識エネルギー

どちらを乗せる在り方「点(今ここ)」を選び続けるかに左右するだけで

 

基本的に、存在を尊重することを考えた時

 

ただ、呼吸をしているだけで、等しく価値=生命エネルギーは在るのだ。

 

「他人との人間関係の中でのやり取り」で

善悪の優劣の意識で悩むのは、じぶんのこころに在る2言論の捉え方を改め

意識を宇宙規模に変える為のフラグに過ぎない。

 

ただ、「重い意識エネルギーか、軽い意識エネルギー」

どちらが「点(今ここ)」に在り、

「点(みらい)」がうまくいかない原因を作り続けているか?の違いだけなのだ。

 

「徳を積むこと」と「お金という対価を得ること」を

やたら、紐づけて話が進んでいることが多いけれど

 

やはり、違和感を感じ続けてきたことということは

「違和感=嘘」でしかない訳で、扇動の一種なんだよね。

 

エネルギーに詳しくなると、

「徳を積みなさい」の価値観も不調和な事に気づく。

 

良い事に聞こえる風な事は、お金の為に創り出したことばで

そうでなくても、生きられることを知ることが、こころの平穏の近道なのだ。

 

「存在している=意識エネルギー」が在って

3次元の経験をしていることを考えると

 

極論だけど、寝たきりの人達は、

「ただ、在るだけで、徳を積んでいる」理論が分からない場合

 

刺激(2言論)の世界から脱出していない領域と考えることが出来る。

 

他人と人生を入れ替わった時に、役に立たない理論は

エネルギー的に考えても、不調和なので、採用しなくて良い価値観になる。

 

「徳を積むこと」=「お金という対価を得ること」が紐づかない理由は

至極、かんたんで、

 

「じぶんがやりたくて、じぶんが存在した先で、結果的に役に立っている状態」が

最も、摩擦がない徳を積んでいる状態だから。

 

ほんとうに「徳を積んでいるひと」は

「良いことをした自覚がないけど、幸福を感じさせた人」だろう。

 

あえて、他人が、他人に、

「なにを基準としての善行か?」若らいない善行を

示唆する必要はないし、じぶんの行いをひけらかす必要はない。

 

「じぶんにとって、摩擦がない生き方にシフトしなさい」が

最も、徳を積んでいる近道なのだ。

 

・「徳を積むこと」=徳というあいまいな領域が多いことばによって

ぼやけていることが多いけれど

 

「じぶんが、他人にしてあげる」の時点で

相手への尊重が無くなるので、いらないお節介なんですよね。

 

人間が、もし、本気で、地球の環境なり、

戦争なり、病気なりの改善の役に立ちたいなら、

ただ、呼吸してるだけで良い訳なので

 

「他人の為に、役に立つ生き方をしたい。」

「他人の為に、役に立つ生き方をしなさい。」という言語は

 

「対価欲しいよ〜。」の子ども的な発想な訳です。

 

人間は、ただ、意識を持って、

それぞれ、役割を生きているだけで、

 

充分、いま、この瞬間も役に立っているし

 

ほんとうに「成長」している時は、

周波数が変わって、感じている感情が変わるので

「成長」する為に起こった出来事を忘れている。

 

・「お金という対価を得ること」=現実化のタイムラグがある重いエネルギー

 

「徳を積むこと」をしようとしない時が

最も、調和なエネルギーが出やすい訳なので

 

ただ、存在して、試行錯誤している状態のすべてを尊重することが

互いに「徳を積んでいる状態」ですね。

 

むしろ、源の力からすれば、

勝手に、わたしの創造物に対して、「徳を積んでない悪い人」と

2言論的なジャッジをしてくれるなって感じなのかなと思うかな。

 

「◯◯しようの段階で、不調和だから、するな!」が

感覚としては、ふつうでしょう。

 

じぶんの為に、在り続けた結果

◯◯しようではなく、意思が動いた結果の延長戦上で良いのです。

 

そもそも、大体の人は、

他人の為に在りなさいと洗脳され続けたストレスで

じぶんのエネルギーを忘れて

 

呼吸さえ出来ていないので、

良い呼吸が出来ない価値観の布教こそ、じぶんの首を締めるんですよね。

 

「ゆっくり呼吸出来てますか??」からで、良いのです。

 

エネルギーとして、生きているだけで尊いのですから。

 

やりたいことはみんな分からない。探さなくて良い話