じぶんを生きる方法

愛とは恐怖であること・恐怖がない限り、愛を示す器が育たない

ひとを愛すること・教育することに関して
価値観を話し始めると無限大でキリがない。

解がない領域で、解を創り、

ひとが腑に落ちて行動を変えるまでの導線を創る事は、とても、難しい。

 

ファンの人に教えて貰ったわたしの教育に対する価値観と

いろいろな教育に対する価値観の違いを聴いた時に

 

ひとを育てることに対するこだわりや価値観は 

じぶんの経験や失敗や感情によって これほどまでに違うのかと、感じた。

 

「・一般的な教育  =不足を確認して補なう(在るより、無いを補おう)

 ・ゆかもん  =自然に成長する (在るを起点に、腑に落ちるのを待つ)

・コーチング理論  =背伸びして到達する(先の在るを想定して、不足を補う)」 

 

わたしは、 本人は変われない理由を

無意識に知っていて じぶんを責めていたり

 

愛して欲しがっている(自己卑下癖)事を よく知っているので 

 

こちらが、なにか与えようと依存させたり 

コントロールしようとしないから

 

力みが取れて 他人に言われずとも 

じぶんで、ハードルを設定し、超えたくなると考えている。

 

他人に、目標を設定する事が人生には必要

(目標を持つ事は、必須=ねばならない で 目標の中身はじゆうだと

他人誘導にならないにはならない)だと言われて出す目標は 

 

人格ベース(思考)で無理に導く答えなので

じぶんをコントロールする =他人をコントロールする力も 強く働く。

 

思考(エゴ)によって、じぶんの外側から得た情報で

無理に未来思考によって現実を作り出そうとすると

 

いま感じた事を、

いま感じたエネルギーそのままに出す事を忘れるリスクがあるので 

いまのじぶんと分離してでも得たいものがある場合や

 

 (例えば、わたしの肌が血塗れ時代から抜け出したいと考えた時に

遠すぎる理想を、完全に、じぶんのものだと錯覚出来なければ

 

いまと、理想との乖離が激しく、フラットに生きるというより

力みがありながら、這いずり回る感覚が強い。生存本能的なもの。) 

 

恐怖を目の前にした時に サイコパス性に傾く人は向くやり方になる。

 

思考(エゴ)を起点にすると

思考を起点としなくても

こころの感覚で、フラットに力みなく選択出来る

 

人間が創造する時の感情エネルギーを

(あっ、これをフラットにやりたい!感じたことをそのままやりたい的な感じ)

 丸無視するやり方なので 

 

じぶんの中で、「折衝=矛盾」が無くなる事はない。

 

「理想の自分が今ここに応対するから理想世界を描く事が出来る」というのは

その願望に対して、思考によるエゴがなく、摩擦が少ない場合

じぶんの中で、力みが無くなる事で

日常をサクサクと進められるのであって

 

大半の人は、「他人のこころを無視した

なんとしてでも叶えたいじぶんのエゴ」に対して

肯定的な考えを持つ事が出来ず

 

こころの中では、愛と調和との矛盾に対する葛藤を抱く事で

思考による、目標設定に疲れ果てて、努力出来なくなる。

 

「ネガティヴもすべて、愛によって起こる」に 対する解釈がのみきれない場合

 

 「愛」とは、恐怖も含み 恐怖のおおきさそのものと 

愛は対局のエネルギーである事を 咀嚼出来るかどうかが 

 

競争社会から外れて 生きられるかの別れ目になる。

 

わたしは、「愛とは恐怖」に対する価値観をのまない限り、

摩擦が起きると考えた為、受け入れた。 

 

それは、他人に話せない恐怖を経験し 

乗り越え方がわからなかった事で 

唯一ある解に見えた事で出来たことだから。

 

 

恐怖がない限り、 

愛を示す器が育たないけれど

 

思考による恐怖を超越する事は 

現実離れしているので 納得できない人の方が、多いと考えている。

 

そして、お金は恐怖でも増幅するので 

逃げやすい選択になりうる事が 気づきを得にくいポイントにもなる。

 

 

この乗り越え方を知っているので 

わたしは、大元の愛を起点に 

ピラミッド社会そのものものみこみ 

 

変えようとしない事が

神に導かれる選択であり、愛と考えている。

 

ちょっと、サディスティックな面もあって

 「愛を体現する為に ピラミッド社会の制限・ネガティヴがある」と考えると

ピラミッド社会を出る選択をするじゆうの為に 

制限がある社会に深く関わらない・ 触れない事になるから

その姿勢が愛だとすると 冷たいと感じる事がじゆうへの責任なのかもしれない。

 

のめないということは 

じぶんへの愛は恐怖だった事を 

受け入れる価値観が変わらない限り 

 

こころの平穏を得る事は難しいということ。 

 

そして、恐怖をのめない限り、過去のじぶんを救う事もできない。 

 

エネルギー的に考えても

 「愛」と分離する事は不自然な訳なので 

 

悟りを得る事と 愛を理解する事は

直結しない経験である事は 意外性がある。

 

悟りは、愛を体現する為に経験する領域だと

どこかで、期待していたのかもしれない。

 

 「恐怖」によって作ってきた 

過去の生き方をじぶんで見直せない限り 

じぶんへの愛を 結果ベースにこだわる事から抜け出せない。

 

 

「恐怖」を利用して、生きる領域を出る為には

ピラミッド社会をピラミッド社会にしない事が必須なのだ。

 

結果ベースにこだわる事を他人に強要した時

 

 

自己支配が好きなタイプには受けるので

 金銭的に売れるが 

 

自己支配では幸福になれない事を 

潜在的理解している人はアンチとなるので 競争をじぶんで創り出す。

​​

 

搾取する為の教育と 

搾取されるを経験したい人の 

双方のエゴを満たしたいメリットが 負の感情を作っているといった感じ。

 

エネルギー的に言えば、0が最も高い時で 

上か下かでは 

周波数が高いは説明出来ないので 

 

ピラミッド型のことばと 

ピラミッドを抜け出した世界のことばは 全然ちがう。

 

ピラミッド型から抜けると 

搾取の考え方が無くなるので楽になる。

 

 

苦しいのは、じぶんが 搾取する価値観を選択するから。