じぶんを生きる方法

先生ビジネスを卒業しない限りお金と人間関係に悩む理由

先生ビジネスを卒業し

「先生(上)」と「生徒(下)」ではなく
「ひと(尊重)」と「ひと(尊重)」で仕事をする事が

お金と人間関係に悩まない人生を送る事が出来ることは言う間でもない。

 

ピラミッドの社会で培った対立のことばや思考を

わたし達は、無意識に選択する事が多い。

 

それによって、日常生活の中で、些細な小競り合いや喧嘩が続く事が多々ある。

 

ネットビジネスや起業家の「オンラインサロン」は

とくに、「先生」と「生徒」の刺激的な恋愛中毒病にハマりやすい。

 

オンラインサロンって実際情弱ビジネス?信者ビジネスの教祖様になれなかった話

 

「先生=偶像崇拝」を求める人がいる限り、一生、どこかの下僕人生。

 

「先生」になりたい人がいる限り、他人とじぶんを比較する人生は終わらない。

 

そして、

「先生」ポジションを築く選択をした時点で

 

じぶんの人生そのものを

重い空気を持ったひとに囲まれる

おろかな選択をした事に気づくことがないまま

一生を終えるのだ。

 

わたし達は、資本主義社会を学んだ結果、

ピラミッド社会の三角構造の図を頭の中に、思い浮かべやすい。

 

「先生」ポジションを築くサロン展開が、大流行しているけれど

 

「先生」を辞め、

ただの「ひと=源のエネルギーと直通」になった時

はじめて、「ひと」と「ひと」の会話が生まれ

調和のエネルギーによって、他者の喜びに役立つ事が出来る。

 

肉体の年齢や外側のスペックではなく

「ひと」と「ひと」の会話が、

ほんらいのじぶんであり

エゴのないエネルギーのやり取りの方が、楽だった事を思い出すのだ。

 

「お金をたくさん持ったら

肉体の時間を長く生きる事が出来たら

沢山の人に、尽くす事が出来たら

ひとを救済出来たら …。」

 

あなたは、いくつの外側の条件が無いと、

幸福になれないと思い込んでいる人なのか。

 

逆に、いくつの外側の条件があったら、

幸福だと思い込めるか。

外側は、じぶんのこころの欠乏感を測る指標だ。

 

なにもなくても、

いま、この瞬間が幸福なものでなければ

いまの選択は、終焉に向けて、ズレ続ける。

 

ピラミッド社会の三角構造で培った定義によって

わたしは、「肉体の年齢で、分別されるじぶん」を創り出した。

 

「他者に還元出来なければ、お金=価値を生み出さないので、尊重されない。」

 

3次元っぽい外側にある正義感的な定義を採用し続けた結果

「ひとの役に立っていないと、悪い人

=集団にとって、役に立ってないと、都合の悪い人」の定義を持ち続けていると

 

全体を許容するこころが育たなかったことで

じぶん自身のエネルギーが枯渇して、潰瘍に突入した。

 

潰瘍は、じぶんのエネルギー場に

じぶん以外のエゴの周波数が、穴から

どんどん入ってくるので、24時間、永久に激震のエネルギーが走り続けるので

かなり、難儀したものだ。

 

本来は、「愛したい」欲求が強過ぎる人にとって

「愛さなくとも、愛される=尊重される」の定義の解釈を飲み込むことに

とても時間がかかった。

 

真のヒーリングとは、

なにもせずとも、癒してしまっている状態=尊重されている状態だ。

 

むしろ、癒したい欲求が強いヒーラーの方が

「愛したい」病に取り憑かれてしまう危険性が高いだろう。

 

たとえば、母親が選挙の候補者を見て

「あの人は前はニコッとしてたから見てみたかったけど良い人じゃないの?」

って言った後に、

 

ピラミッド社会の裏を知る父親が「選挙出る人は笑えんのよ。」とツッコんで

 

地球環境は、安全で、ひとはみんな悪じゃないのだと

 

社会構造の歪みと、接する事がない事で何歳になっても信じ切る

ピュアさがある母親のような存在の方が、きっと、革命的で「女神」に違いない。

 

ピラミッド社会の「ひとの役に立っていないと、悪い人」とは

お金視点のエゴ的発想で、

お金によって、分別されて良いじぶんを許可することになる。

 

宇宙環境からすれば、チリみたいな空想だろう。

 

書きながら、気づいた事でもあるけれど

 

宇宙環境や地球環境で、

使命の為にがんばる発想がなければ生きていけないのなら

 

「魂」の修道場や

辛くて、苦しいカルマ制度そのものが、無くなった方が

 

きっと、病気や困難は無くなり、平和に近づくだろう。

「辛くて、苦しいことをがんばった感動」や「使命の為にがんばる」

重いエゴ意識がなくなり

 

地球環境での物質社会を経験出来ない定義そのものから脱却する事が出来れば

物質社会でも、どんな生き方も許容される。

 

そもそも、地球外の惑星では、お金がない星もあれば

意識を持っているからといって

「仕事をしなければならない。」的な決まりごとはない惑星や生命体もいる。

 

休もうが、愛のために活動しようが、創作しようが

エネルギー体でいる時は、ほんらいは自由だった事を忘れている。

 

肉体による制限がついている事で「肉体の死=永遠の死」だと錯覚しているのだ。

 

人間が、人間を

労働力やお金によって、ひとをジャッジしたり、判別して良いと思い込んでいるとしたら

 

ただ、生存し、自由に経験して良い事を尊重する事を忘れているのだろう。

 

外側の条件で、ジャッジして良い存在があるとしたら

人類のみなの内側に流れている源のちからだけだ。

 

重い意識を外して、生きる事に関して、肉体の年齢は、正直、あまり関係ない。

 

だから、いつからでも、ピラミッド社会から外れたいと願えば、

その通りに実行する事は出来る。

 

肉体の年齢や稼ぐ金額だけで、

可視化出来ないひとの経験や知恵を判別してしまう事は出来ないのだ。

 

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「先生」になりたいのは、きっと、満たされないエゴの領域が強いから。

 

「先生」になるより、やりたいことやって

なにも、気にしないただのひとである方が、楽じゃない?

 

肉体的な年齢や外側の役職の◯◯さんより、

ただのひととして、どういう意識で生きたいのか、が

結果的に、仕事もお金もついてくるのだ。