じぶんを生きる方法

自分へのご褒美は気持ち悪いは嘘!当たり前に自分を大事にした方が良い理由

わたしは、「自分へのご褒美は気持ち悪い」とニュースメディアに書いてあったり
他人に言われたことばを気にして 「じぶんを大事にすること」を辞めたら
難病を呼び込んでしまった経験がある故に

「自分へのご褒美は気持ち悪い」と言えなくなったひとりである。

 

(わざわざ、他人向けのSNSで「わたしは、わたしを大事にしてます!」と
公開しなくて良いから
ひとりで、勝手に幸福になるスキルが高い人が増えたら良いと考えている。)

 

サラリーマン時代、

少ない給料の中から
いつも、「100円のシュークリーム」や「スイーツ」を買っては

 

「(やりたい事を望んで選択出来た訳ではなかった為)
頑張っているのに頑張っていない満たされない感覚」が、とても、強かった。

 

「やりたい事を望んで選択出来た訳ではなかった」と書くと

人生成功法則や感謝病のスピ系にあやかって「感謝が足りない!」と
外野から
散々、物が飛んでくるが

わたしの家庭は、わたしの子育てをうまく出来なかった事を認めている。

 

※ そして、いま、やりたい事が出来ていない人は
しっかり、主張していく事が大事と考え、9月頃、講座を開く予定だ。

結果的に、「やりたい事」はおろか
「やりたくない事」をお金と仕事と生きる為に選択した結果

じぶんで生きることさえままならなくなったと言える結果が残ったわたしにとって
「自分へのご褒美」はしてあげられるなら
じゃんじゃんしなさいと、いまでは、考えている。

 

ある程度、じぶんに満足したら

そこで、始めて、じぶんだけじゃなく
おなじ金額で、誰かにしてあげる事を考える事が出来る。

 

じぶんが、満たされない内から無理して、他人を満たそうとすると
身を擦ることになるから、じぶんのことだけでも出来たら充分なんだ。

まずは、じぶんを満たす事が、収入を上げる為にも優先順位的には先決。

 

せっかく、実家を出れたものの、
起業にも失敗し、帰省するしかなくなるまで頑張り続けていた20代前半。

わたし宛の借金の額が誤算があった事を告げず、わたしに引き継いだことを忘れ
身体がボコボコになっている事を知らない母親から

「あなたは、じぶんのお財布で自由に出来て、良いね。(遠回しなお金頂戴的な話。)」の
催促の連絡が、鳴り止まず、じぶんが納得するお金の使い方が出来た試しがなかった。

だから、たとえ、
家族に催促されたとしても、しっかり断って、じぶんの満足を追求して欲しい。
将来、あなたの変わりが出来る人はいないから、自立の為に必要な事をやる事が先決だ。

 

わたしは、そろそろ、「やりたい事が出来なかったを言うな」的な
無意味な言論の規制を斡旋するのではなく

 

「やりたい事が出来てない、つらい事はつらい」と
はっきり、言っていい社会を推奨したい。

 

自分へのご褒美は気持ち悪いは嘘!当たり前に自分を大事にした方が良い理由

 

「つらい事はつらい」と言わず
我慢した結果、難病を呼び込んだわたしにとって

「やりたい事が出来てないけど世間様の顔を考えると、顔を合わせて話すしかない」と
大人がこころの内では葛藤している事を見る度に

きっと、全員のこころの中で、じぶんの本音や、他者への思いやりより

仕事やお金が勝つ瞬間が出てくる度に
あらゆる、成功法則本通りにいかない事に悩むのだと思っている。

 

そして、個人的には、なんだかんだ、外から入る情報は
お金に対してクリーンな話ばかりあるが、矛盾そのものがお金に対する答えだとも思う。

 

わたしは、おとなになればなるほど
「ただ、隣の人が生きていたり ただ、在るだけで存在価値がある事」を忘れられてしまう

社会構成に疑問を持っている。

 

存在価値があって、存在を認められている事より
お金や仕事の優先順位の方が高い生活を幼少期の頃から経験しているが故に
ひとは、あくせくと働いた末、

一体いつ、じぶんの本来の価値を
じぶんで納得出来るタイミングがやってくるのかと思う時がある。

 

気づいたら、上流やトップに向かう思想や
人生は、頑張って努力して肩書きを掴むもの的な誰かが作ったお金のルールに乗せられて

 

じぶんの知らぬ間に、「じぶんが、認識していない何者か。」と
こころの中で葛藤して、闘うように、仕向けられている事に
起業に大きく失敗するまで気づきもしなかった。

 

他人に勝ちたい競争思考は気づくと家族や誰かを責め続けているこころに繋がり、
日常生活や人間関係の不調話を呼んでしまう事に気づいた時

わたしが自主的に、競争したい人に見えるように
誘導されていた事に気づき膝から崩れ落ちた。

 

本来のわたしは
天然で、JOY精神が強い普通の女の子なはずなのに
いつの間にか、闘わなければならないと思い込まされていたのだ。

 

元々の器用さがないわたしは、完璧にやれば、幸福になれると思い込み、頑張った。

 

「こうした方が、勝ち組」と聴いたことば通りに
完璧さをじぶんに求めた結果、

肉体だけが、ボコボコになって終わってしまった。

 

自分へのご褒美は気持ち悪いは嘘!当たり前に自分を大事にした方が良い理由

 

「自分へのご褒美は気持ち悪い」とは
我慢は連帯責任思考だったり
じぶんのことばかり考える奴は悪的な思考や不幸は共有したい、

斡旋したい人にとって都合の良いことば。

 

最も、社会貢献となる生き方は
じぶんの人生をじぶんで大切に出来るスキルがあることな訳だから

ひとりで、勝手にじぶんのことを散々愛でて
ひとりで、勝手に幸福になれる人が優勝する。

 

誕生して、生きているだけで
この世にある、どんなものよりも尊い価値があるじぶんに、

じぶんで、毎日、ご褒美さえ与える事をしなくなったら
一体、誰が、あなたがこの世にいる事が素晴らしいと言ってくれるだろうか。

 

なんなら、じぶんの価値より

お金やモノ、凄い人や外側の勲章の方が
すごいと、信じ込んだまま死んでしまう人もたくさんいるだろう。

 

「自分へのご褒美は気持ち悪い」より
「自分へのご褒美は、皆に、平等にありふれていた方が良い」と思うし、

 

そもそも、「自分へのご褒美」が無いとしんどい仕事や毎日なら
「しんどい事」から離れる勇気を持つ人が増えない限り

 

「しんどい事」は無くならない。

 

「しんどい事」をしないとじぶんには、幸福がないと思い込み
しんどい事を許容する人がいなくならない限り
「しんどい事を許容したい人」の鞭は終わらない。

 

自分へのご褒美は気持ち悪いは嘘!当たり前に自分を大事にした方が良い理由

 

成長の定義についても

別で記載しようと考えているが

 

「成長」とは、過去の無理したり、頑張ったり、努力するじぶんを手放すこと。

 

頑張って、頑張って、無理する選択は、じぶんで、じぶんを苦しめる残虐行為なんだ。

 

「自分へのご褒美は気持ち悪い」と感じる人ほど
まず、じぶんへご褒美(てへぺろ😋キャンディー🍭)をあげよう。

 

じぶんにご褒美をあげられない人が
他人に、なにか、してあげる事って難しい訳だから

 

他人に、沢山してあげないといけない的な歪みが多い考えでいなくて良いし

じぶんが無理してまで
沢山、ひとにしてあげないといけないって思い込む仕事があるとしたら、

 

それは、あなたひとりでやる仕事ではないし
そもそも、あなたが、「やめた!」と言えば必要な仕事で無くなるかもしれない。

 

みんなとおなじように
いますぐ、沢山、沢山、他人にしてあげられないことを
じぶん1人の責任と捉えなくて良いんだよ。

 

だいじょうぶ。焦らなくても、意外と、みんな完璧には出来てないから。

 

「みんなとおなじように
沢山、沢山、他人にしてあげられない時期があった」だけにすれば良いのだから。

 

みんなで、持つべき課題を持てるスキルがある人がいない時
沢山、沢山してあげたい、あなたのような心優しい人にしわ寄せが行く。

 

「沢山、沢山してあげたい」時こそ、じぶんは、本音はどうしたいか、いちばんに聴こう。

 

先に、じぶんを満たして

あなたが幸福にならない限り、幸福でないあなたから
何かしてもらっても幸せになる他者はいない事にどうか、気づいて欲しい。

 

世間のだれも言ってくれないかもしれないけど
先に、じぶんを満たせない人が多い中、
まず、じぶんひとりでも、満たすことを考えられる
だけで、充分立派だから、
自信を持ってね。

 

ゆかもん式トラウマ感情消化音楽療法からおすすめの一曲

 

欅坂46 のサイレントマジョリティーをおすすめの曲に掲載しておく↓

 

 

 

東京ドーム公演の 平手友梨奈さんの「角を曲がる」がとても好きで、

他人の期待や、押し付けられた価値観に わたしたちは、簡単に傷つくというのに

じぶんをひとりで、守るには、かんたんに、守れない仕組みになっている事が
葛藤や、悩み苦しみを作っていると考えている。

わたしは、じぶんをたくさん責めてきた人生の冒頭を過ごしたからこそ
もう、誰も責める環境を作りたくないと考え、目の前の人を大事にするようになった。

目の前を大事に出来ない時は
あなたが、まだ良い人を知らないだけだと、わたしは知っている。

じぶんが、頑張ることではなく、生きやすくなる話をする人の話を習得しよう。

 

平手友梨奈 角を曲がる